北の大地で「イケクミ」こと池田久美子選手が、ついに夢をかなえました。陸上の北京五輪代表選考会を兼ねた今季日本グランプリシリーズ最終戦、北海道函館市で行われた南部記念で6メートル70の大会新をマークして優勝。北京五輪へのチケット獲得の瞬間でした。 池田選手は2006年に日本記録をマークした同じ長居陸上競技場で、翌年開催された国際グランプリ陸上大阪大会で北京五輪A標準を突破していました。しかし、代表選考会を兼ねた08年6月27日の日本選手権(神奈川・等々力競技場)は6メートル42で3位に終わり、南部陸上の優勝で自身初となる五輪代表枠獲得を目指していました。南部記念で出した6メートル70は、カタール・ドーハで昨年行われた国際グランプリで優勝した時と同記録でした。
速度を上げることで助走歩数を減らして臨んでいた今季は、タイミングが合わずファウルとなる場面が多く見られました。北京五輪へ最後の挑戦の場となった南部記念では、一気に加速するイメージを保ちつつ、これまで通りの20歩と、日本選手権よりも助走を2歩増やして臨んだ結果、今季ベスト記録をマークすることができました。 山形県酒田市出身で、走り幅跳びの選手だった父実さん(故人)の影響を受け、8歳の時に陸上競技を始めました。小学4年のころ、「テレビで五輪を見て、私より遠くに跳べる選手に憧れ」、五輪出場を夢見たといいます。5、6年生の時、年代別日本記録を樹立するなど、当時から「日本記録」に縁のあった池田選手は、陸上の盛んな宮城・仙台育英高校から福島大学と進みました。 日本の『走り幅跳びクイーン』ともいえますが、「五輪代表の池田さん」と言われることがあるといいますが、本人は「まだ出たこともないのに・・・」と苦笑します。 「練習に集中したい」との思いから、5月下旬に浜松市内で1度だけ練習を公開し、記者会見を開きました。会場には大勢の報道陣が訪れ、池田選手への期待感が伺えました。次から次へと寄せられる質問に、嫌な顔ひとつせず、微笑みを浮かべながら丁寧に答える様子は、アスリートとして大人の対応をしていると好感が持てました。そんな池田選手が五輪への思いを語ってくれました。(2008年5月27日取材)
2008年5月、北京五輪のメーンスタジアム『鳥の巣』で行われたプレ大会。世界各国からトップアスリートが本大会のリハーサルにと集いました。この大会で池田選手は、6メートル45を跳んで優勝、本大会への好材料となりました。「優勝」を手土産に臨んだ5月末の公開練習後の記者会見では、「今、ここにいても憧れの舞台」と五輪への思いを語りました。陸上競技の手ほどきをしてくれたものの06年に他界した父のために、また2年前に亡くなったスズキの同期入社で砲丸投げ女子日本記録を残したアテネ五輪代表だった森千夏さんのためにも、本番の北京でプレ大会の再現を見せてほしいものです。競技会場のピットに立った選手だからこそ分かる状況を、池田選手が語りました。 走り幅跳びのピットに立つ池田選手は、跳躍前にスタンドの観衆に手拍子を求めます。公式大会の会場ではお馴染みの光景となりました。観衆の大きな手拍子は、池田選手にとって大きなパワーになるようです。海を挟んだ中国・北京のピットに立つ池田選手に、日本から「手拍子を送ってほしい」と池田選手は話します。
初めて立った五輪の舞台。池田選手は「自分がイメージする助走ができたけど、小さいミスがあった」と振り返りました。6メートル86の日本記録を持つ池田選手は、1回目に6メートル44、2回目に6メートル47を跳び、3回目はファウル。自動的に予選通過が決まる6メートル75以上に大きく届かず、決勝に進める上位12人にも入れませんでした。期待していた7メートルのビッグジャンプを『鳥の巣』では実現出来ませんでしたが、次なる舞台での達成に闘志を燃やして欲しいと思います。「甘くはないと思った。自分には世界での経験が不足していると感じた。強さがないと駄目だと思った」と試合後に語った池田選手に、チャンスはこの先も巡ってくるはずです。(デジタル編集部・吉本寿)