村上佳宏選手が出場する「近代五種」競技は、射撃(エアピストル20発)、フェンシング(エペ総当り戦)、水泳(200m自由形)、馬術(障害飛越)、ランニング(クロスカントリー3000m)の5種目による複合競技です。軍隊の伝令が戦地から王の元へ、王の元から戦地への移動したことが起源だといいます。日本オリンピック委員会(JOC)によれば、男子は1912年のストックホルム五輪から正式競技になりました。世界の競技人口は48カ国で約3万人、国内競技者数は約100人、自衛隊と警視庁でのみ行われている競技です。 水泳は5歳の時に始めた村上選手。「最初はプールに行くのが嫌だったが、友だちができたり、記録が伸びることがうれしくて続けられた」と振り返ります。
旧清水市(現在の静岡市清水区)に生まれた村上選手は地元の中学を卒業後、沼津市の沼津学園高(現・飛龍高)に進みました。電車通学の3年間は、水泳に明け暮れたといいます。ターンが苦手だった村上選手は、まさに血のにじむ練習を重ねて克服したというエピソードがあるそうです。水泳に明け暮れた高校時代の仲間や後輩と、開幕まで3カ月を切った5月下旬、思い出の地・沼津での壮行会で再会し、パワーをもらってきたようです。 10m先にある射撃の的は直径が15cmあまり。45秒以内に1発撃ち、200点満点(計20発)で得点を競います。わずか11.5mmしかない中央の10点を狙ってピストルを構える射撃場で見せた表情は、非常に険しいものでした。しかし、カメラが回り始めると大きな目をクリクリと動かして、ハキハキと質問に答えてくれた村上選手に、10の質問(Q10=クエスチョン10)をぶつけてみました。 家族や職場仲間などに感謝の思いを忘れず競技に臨む村上選手。「練習の虫」らしい言葉を「好きな言葉」として色紙に書いてくれました。 村上選手が北京五輪代表に内定したのは2007年のアジア・オセアニア選手権(兼北京五輪代表選考会)でのこと。県勢第1号の北京五輪代表内定でした。北京出場が決まってから村上選手は、「家族や職場仲間のほか全国の自衛官の代表と言う気持ちも出てきた」といいます。内助の功も代表権獲得には欠かせませんでした。昨年の代表選考会で競技中の村上選手がエネルギー源としたのは、奥さん手作りの五目炊き込みご飯のおにぎりでした。本番でも口にしたい思いがあるようですが…。 周囲の人に感謝の気持ちを抱きながら北京の地に立とうとしている村上選手は、どんな試合展開になったら良いと考えているのでしょうか。北京五輪にかける思いとともに、心のうちを語ってくれました。
近代五種競技に日本人選手が出場したのは16年ぶりのこと。射撃、フェンシング、水泳、馬術、陸上の5競技を1日でこなす人間の限界に挑む競技だということを、村上選手の活躍を通して知ったという方も少なくなかったと思います。先行逃げ切り型の村上選手は、得意の射撃や、全選手と対戦し1勝に重みがあるフェンシングで出遅れたことが、納得の行く結果につながらなかったようです。しかし「初めての五輪?楽しかった。次のロンドンも若い子が続いてくれればいい」と、競技後の村上選手。雨粒と汗、さらに涙。ぐちゃぐちゃになった顔に笑みとたたえた、と結果を報じる静岡新聞の記事に村上選手の表情がありました。きっと、大会前の取材の際に見せてくれた彼らしいさわやかな笑顔だったのだろうと、読んでいた私も表情が緩みました。村上選手、お疲れさまでした。(デジタル編集部・吉本寿)